妊娠中のママのおなかの秘密
みなさんは、お母さんのおなかの中で赤ちゃんが大きくなるとき、どんなことが起きているか知っていますか?赤ちゃんが大きくなるためには、たくさんの栄養が必要です。でも不思議なことに、お母さんのからだも赤ちゃんのために特別な改造工事をしているんです!
今日は、お母さんの腸(ちょう)で起こる驚きの変化についてお話しします。お母さんの腸は、まるでレストランがお客さんの増加に備えてテーブルを増やすように、赤ちゃんのために「栄養を吸収する場所」を増やしているのです!
お母さんの腸で起きる「増築工事」
わたしたちの腸の内側には、絨毛(じゅうもう)という小さな指のような突起がたくさんあります。この絨毛は食べ物から栄養を吸収する大切な役割をしています。まるで、プールの中の水をタオルが吸い取るように、絨毛は食べ物から栄養を体の中に取り込みます。
科学者たちは、お母さんの腸を調べてみると、妊娠中や赤ちゃんにおっぱいをあげている時期(授乳期)に、この絨毛がどんどん長くなることを発見しました!これは、まるで小さなタオルを大きなタオルに交換して、もっとたくさんの水を吸い取れるようにするようなものです。
図1の説明: この絵は、普通のマウスと赤ちゃんにおっぱいをあげているマウスの腸の様子です。上の部分(a)を見ると、おっぱいをあげているマウス(L5 RankWT)の腸の絨毛が、普通のマウス(Nulliparous RankWT)よりもずっと長くなっていることがわかります。絨毛の長さ(Length)、体積(Volume)、表面積(Surface area)が増えています。これは、もっとたくさんの栄養を吸収できるようになった証拠です!
「RANKスイッチ」が腸の改造を指示する
では、どうしてお母さんの腸はこんな変化をするのでしょうか?科学者たちは、RANK(ランク)という特別な「スイッチ」と、それを押すRANKL(ランクエル)という「ボタン」を発見しました。
RANKは腸の細胞の表面にあるスイッチで、RANKLはそのスイッチを押すボタンです。妊娠すると、お母さんの体内でRANKLというボタンがたくさん作られます。そして、このボタンがRANKスイッチを押すと、腸の細胞に「さあ、改造工事を始めよう!」という指令が伝わるのです。
科学者たちは、このRANKスイッチをなくした特別なマウス(RankΔvilマウス)を作って実験しました。すると、このマウスは妊娠しても腸の絨毛が長くならず、改造工事ができませんでした!
図2の説明: この実験では、普通のマウス(RankWT)とRANKスイッチをなくしたマウス(RankΔvil)を比較しています。授乳期(L5)になると、普通のマウスの腸の絨毛はとても長くなりますが、RANKスイッチをなくしたマウスでは絨毛があまり長くなりません。これは、RANKスイッチが腸の改造工事に必要だということを示しています。
腸の細胞が長生きして、絨毛が長くなる
RANKスイッチが押されると、腸の細胞にどんな変化が起きるのでしょうか?
科学者たちは、腸オルガノイドという特別な方法で腸の細胞を培養して調べました。腸オルガノイドは、試験管の中で育てた小さな「ミニ腸」のようなものです。
この実験で、RANKLでスイッチを押すと、腸の細胞に2つの大きな変化が起きることがわかりました:
- 細胞が長生きするようになる
- 細胞が分化(ぶんか:成長して特別な役割を持つこと)するようになる
普通、腸の細胞は古くなるとアポトーシス(細胞の自然死)という方法で死んでしまいます。でも、RANKスイッチが押されると、細胞を守る特別なタンパク質がたくさん作られ、細胞が長生きするようになります。まるで、細胞に特別な防具を着せるようなものです!
図3の説明: この絵は、RANKスイッチが押されたときの細胞の変化を示しています。左側(e)を見ると、RANKスイッチが押された細胞(rmRANKL)では、Birc3やTnfaip3などの「細胞を守るタンパク質」がたくさん作られていることがわかります。右側(f)では、放射線を当てて細胞にダメージを与える実験をしています。RANKスイッチが押された細胞の方が、ダメージに強くなっています。これは、細胞が長生きするようになった証拠です!
「幹細胞(かんさいぼう)」の大切な役割
腸の中には、幹細胞という特別な細胞があります。幹細胞は、新しい腸の細胞を作り出す「工場」のような役割をしています。
RANKスイッチが押されると、このBMP経路を通じて幹細胞に信号が届き、幹細胞は「今は新しい幹細胞をたくさん作るよりも、栄養を吸収する細胞をたくさん作ろう!」と指示を受けます。
これは、おもちゃ工場が「今は工場を増やすよりも、もっとたくさんのおもちゃを作ろう!」と決めたようなものです。その結果、腸の中に栄養を吸収する細胞がどんどん増えて、絨毛が長くなっていくのです!
図4の説明: この絵は、RANKスイッチが押されたときの幹細胞の変化を示しています。左側(g)では、BMP2という物質とその仲間のId2、Id3が増えています。これらは幹細胞に「分化しなさい」という指令を出します。右側(i)では、NOGGINというBMPを止める物質を加えると、幹細胞(緑色の部分)が減らなくなりました。これは、BMPが幹細胞の運命を決めていることを示しています。
ずっとRANKスイッチが押されたままだと?
では、もしRANKスイッチがずっと押されたままになったらどうなるでしょうか?
科学者たちは、RANKスイッチが常に「オン」になっている特別なマウス(caRANKvil-Tgマウス)を作りました。このマウスでは、最初は絨毛がどんどん長くなりましたが、その後、幹細胞がどんどん減ってしまい、最終的には絨毛も短くなってしまいました。
これは、工場がフル稼働し続けて、新しい工場を建てる余裕がなくなってしまったようなものです。妊娠や授乳期のお母さんの体では、このRANKスイッチは一時的に押されるだけなので、問題ありません。赤ちゃんが大きくなると、スイッチは自然に「オフ」になり、腸は元の状態に戻ります。
図5の説明: この絵は、RANKスイッチが常にオンになっているマウスの腸の変化を示しています。上の部分(a)では、3週間目のマウスの腸を見ると、絨毛がとても長くなっています。しかし、中央部分(b)では、幹細胞(OLFM4+細胞)が時間とともに減っていくことがわかります。下の部分(c)では、5〜8週間後には絨毛が短くなってしまっています。これは、RANKスイッチがずっとオンのままだと、最終的には腸に問題が起きてしまうことを示しています。
お母さんの腸の変化は赤ちゃんの健康に大切!
RANKスイッチをなくしたマウス(RankΔvilマウス)のお母さんから生まれた赤ちゃんマウスは、どうなったでしょうか?
科学者たちは、これらの赤ちゃんマウスを観察し続けました。すると、普通のお母さんから生まれた赤ちゃんマウスよりも体重が軽く、成長してからも小さいままでした。
さらに、この赤ちゃんマウスが大人になってから高脂肪食を与えると、糖尿病のような症状が現れやすくなりました。これは、お母さんの腸の改造工事がうまくいかなかったために、赤ちゃんが十分な栄養をもらえなかったからだと考えられています。
図6:RANKスイッチがないお母さんから生まれた赤ちゃんマウス
図6の説明: この絵は、RANKスイッチをなくしたお母さんから生まれた赤ちゃんマウスの成長を示しています。上の部分(c)を見ると、RANKスイッチをなくしたお母さん(RankΔvil)から生まれた赤ちゃんマウスは、普通のお母さん(RankWT)から生まれた赤ちゃんマウスよりも体重が軽いことがわかります。下の部分(d, e)では、大人になったマウスの糖尿病検査の結果を示しています。RANKスイッチをなくしたお母さんから生まれたマウスは、糖尿病になりやすいことがわかります。
実際、お母さんの腸を調べてみると、RANKスイッチをなくしたマウスでは、母乳に含まれる脂肪やビタミンA、IgA(免疫に大切なタンパク質)が少なくなっていました。これらの栄養素は赤ちゃんの成長に大切なものです。
人間でも同じことが起きているの?
科学者たちは、人間の腸の細胞でも同じような実験をしました。人間の腸の細胞にもRANKスイッチがあり、スイッチを押すと、マウスの時と同じような変化が起きることがわかりました。
これは、何億年もの進化の中で、哺乳類(ほにゅうるい:赤ちゃんにおっぱいをあげる動物)は同じような方法で赤ちゃんを育てる工夫をしてきたということです。お母さんの体は、赤ちゃんのために本当に素晴らしい準備をしているのですね!
図7の説明: この絵は、人間の腸の細胞でのRANKスイッチの効果を示しています。左側(a)では、RANKスイッチを押すと(rhRANKL)、人間の腸オルガノイドが大きくなっていることがわかります。右側(b)では、放射線のダメージに対して、RANKスイッチを押された細胞の方が強くなっています。これは、人間でもマウスと同じような仕組みが働いていることを示しています。
この研究はなぜスゴイの?
この研究は、お母さんの体が赤ちゃんのためにどんな準備をしているのかを明らかにした素晴らしい発見です。
今までは、妊娠中や授乳期にお母さんの腸がどう変化するのかよくわかっていませんでした。でも、この研究でRANKスイッチが腸の改造工事の指令を出していることがわかりました。
この発見は、将来、妊娠中のお母さんの栄養指導や、赤ちゃんの健康を守るための新しい方法に役立つかもしれません。例えば、RANKスイッチがうまく働かないお母さんには、特別な栄養サポートが必要かもしれないのです。
まとめ:この研究でわかったこと
- 妊娠中や授乳期のお母さんの腸では、絨毛が長くなって栄養を吸収する面積が増える。
- この変化はRANKスイッチとRANKLというボタンによって起こる。
- RANKスイッチが押されると、腸の細胞が長生きするようになり、幹細胞が栄養を吸収する細胞をたくさん作るようになる。
- お母さんの腸の変化は、赤ちゃんが十分な栄養を得るために大切。
- RANKスイッチがないお母さんから生まれた赤ちゃんは、体重が軽く、大人になると糖尿病になりやすい。
- 人間の腸の細胞でも同じような仕組みが働いている。
原論文の引用情報
Onji, M., Sigl, V., Lendl, T., Novatchkova, M., Ullate-Agote, A., Andersson-Rolf, A., Kozieradzki, I., Koglgruber, R., Pai, T.-P., Lichtscheidl, D., Nayak, K., Zilbauer, M., García, N. A. C., Sievers, L. K., Falk-Paulsen, M., Cronin, S. J. F., Hagelkruys, A., Sawa, S., Osborne, L. C., … Penninger, J. M. (2024). RANK drives structured intestinal epithelial expansion during pregnancy. Nature, 637(7986), 156–166. https://doi.org/10.1038/s41586-024-08284-1